論理的であるという事は優しいという事なので - 魔王はかく語りき

 屁理屈ばっかこねやがってこの畜生が、と思うかも知れませんが、私は理屈をこねている時は「優しい」つもりでいるのです。

 何を言っているのかと言うと、「優しさ」って2種類あると思うんですよ。

 その時その人が求めている何かを提供する「与えるタイプ」の優しさと、常にいつも変わらず同じ系統を返す「変わらないタイプ」の優しさがあると思うんですよね。

 ただ、「与えるタイプ」の優しさってポジショントークだと言うか、その人が求めているものを出しているだけなので究極的に言うと自己愛を肯定しているだけで何も与えていないですし、人と場合によって反応が変わるので結果が一定しないと言うか、とにかくブレやすいと思うんですよ。

 それに対して「変わらないタイプ」の優しさって、ポジションや場合に関わらず一定の返答を返すので人と場合によって結果が変化せず、一番信頼して助けを求めて良いタイプだと思うんですよね。

 そういう意味で論理的であるという事は「ロジックを元に対応する」事を明言しており、結果がブレないので常に信頼が置けると思うんですよね。

 もちろんポジショントークでいいので慰めて欲しい、というニーズなら「与えるタイプ」の優しさでいいんですが(そしてそっちの方が目的に即しているのですが)、慰めて欲しい以外のニーズがある場合には論理的に返してあげるほうが問題解決につながる(と信じている)のでそっちの方が優しいと思うんですよね。

 まあロジックだけでは救えないものもあると思うんですが、だいたいの事はロジック「でないと」救えないと思っているので、私はブレない人でありたいのです。

この記事を書いた人 Wrote this article

如月 翔也 森の隠遁者あるいは狂人 / 男性

 メインはガジェット、サブはTRPG、そしてそれに次いで好きなのが「考える事を考える」事です。故に論考ブログという「お前哲学習ってないだろ!」という大前提をすっぽ抜かして「オルタナ視点の思考」をメインに色々考えています。