「祈り」の価値 - 魔王はかく語りき

 私は比較的リアリストで確率統計とかが好きなタイプなのでわりと神様に祈るとかそういう事を信じていない方なんですが、それでも人が何かに「祈る」のって価値があると思うんですよね。
 リアリストな目で見ると何かを祈ったところでそれが起こる可能性は一緒なので祈りに成功確率をあげるという意味の価値はないんですが、普段から祈っている事でその考えが自然と身について普段の言動に出ると思うんですよ。そして行動が知らずに変わっているので自分の関わる「祈っている」何かに対しての確率は結果的に変わっていると思うんですよね。
 もしくは自分が関わっていないもの、自分の関わりが少なすぎて自分の言動の違いでは差が出ないものに対しての祈りについては、無意味なところに価値があると思うんですよね。
 祈る事で確率が変わるのであれば祈るのは当然、祈らないのが損になるんですが、本来的に祈りというのは物事に直接的には関わらないので、「何の意味もない」のに、その対象に対して熱心に心を配っているという事なんですよ。
 即物的な意味がないのに常に念頭において大事にしているって、それだけで「それ」そのものの価値を上げると思いませんか?
 そういう意味で、直接的に関わらない事に対しての「祈り」はそれそのものの価値を押し上げているので意味があると思うんですよね。

 まあ私も人間なので神様に祈る事はあるんですが(というか毎日「誰か」わからない神様に祈っている)、祈りに意味があるのであれば祈る価値があるわけですし、祈りに価値がなければ祈られるものの価値を上げる事なので、大事だと思う事に対しては祈りを捧げていけば良いのだと思います。

 あなたにも平穏が訪れますように。

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如月 翔也 男性